2025年初場所、12勝3敗での優勝を果たし、第74代横綱へ昇進した豊昇龍さん。
叔父である元横綱・朝青龍さんの背中を追い、見事に角界の頂点に立ちましたが、この昇進劇には多くの相撲ファンから様々な声が上がっています。
今回の「豊昇龍 13勝12勝 妥当か」という疑問は、単なる成績の問題だけではありません。
中には、豊昇龍さんの横綱昇進は早すぎるのではないか、という意見や、過去の昇進早すぎた力士のように昇進失敗に終わるのではないか、といった厳しい指摘も見られます。
また、横綱昇進の条件が不明確であることや、過去の横綱昇進の見送り例との比較から、今回の相撲協会の判断基準に疑問を呈する声も少なくありません。
豊昇龍さんの成績が横綱として不足しているとの見方、昇進スピードの他力士比較、横審で異論が出たのかという点、そして横綱昇進の例外とされた背景には、横綱不在という状況を避けたいという豊昇龍さんの昇進タイミングも大きく影響していると考えられます。
昇進後の横綱成績不振で批判が集まる中、この記事では多角的な視点から豊昇龍さんの横綱昇進の妥当性について、深く掘り下げていきます。
この記事で分かること!
・豊昇龍の横綱昇進が疑問視される具体的な成績
・過去の力士と比較した昇進スピードや見送り例
・相撲協会が昇進を決定した背景とタイミング
・横綱昇進後の評価と今後の課題
豊昇龍13勝12勝の昇進は妥当か?成績面の疑問と過去の例
豊昇龍さんの横綱昇進については、その直前の成績から多くの議論が巻き起こりました。
ここでは、成績が本当に横綱にふさわしいものだったのか、過去の事例と比較しながら客観的に検証します。
昇進のスピードや過去の見送り例、そして曖昧とされる昇進条件など、様々な角度からその妥当性を探っていきます。
・豊昇龍の成績は横綱には不足していたか
・昇進スピードを過去の他力士比較で検証
・過去にあった横綱昇進の見送り例との違い
・物議を醸す横綱昇進の条件の不明確さ
・横審から異論は出たのか?世間の反応は
・過去の昇進が早すぎた力士たちとの比較
豊昇龍の成績は横綱には不足していたか
豊昇龍さんの横綱昇進に関して、最も大きな論点となったのは直近3場所の成績です。
具体的には、「8勝7敗、13勝2敗(準優勝)、12勝3敗(優勝)」という内容で、合計33勝12敗という数字でした。
この成績が横綱として十分かという点について、多くの相撲ファンや専門家から「不足している」との声が上がったのは事実です。
その理由は、大関昇進の目安とされる「三役で3場所合計33勝」という基準とほぼ同じ数字であったためです。
大相撲の最高位である横綱に昇進するためには、大関を大きく上回る圧倒的な強さと安定感が求められます。
下の表で示すように、平成以降に誕生した多くの横綱は、昇進直前の3場所で36勝以上を挙げており、豊昇龍さんの33勝という数字は、近年の横綱と比較しても見劣りすると言わざるを得ません。
特に、3場所前に8勝7敗と勝ち越しギリギリの成績だった点が、安定感を欠くという印象を強く与えました。
横綱は、常に二桁勝利が期待される地位であり、仮に豊昇龍さんが横綱としてこの成績を残した場合、厳しい批判に晒される可能性が高いでしょう。
これらのことから、純粋に成績だけを見ると、豊昇龍さんの横綱昇進は「時期尚早」であり、成績面では不足していたという意見には、十分な説得力があると考えられます。
力士名 | 昇進直前3場所の成績 | 合計勝数 |
豊昇龍 | 8勝7敗、13勝2敗、12勝3敗(優) | 33勝 |
照ノ富士 | 12勝3敗(優)、12勝3敗(優)、14勝1敗 | 38勝 |
稀勢の里 | 10勝5敗、12勝3敗、14勝1敗(優) | 36勝 |
鶴竜 | 9勝6敗、14勝1敗(同)、14勝1敗(優) | 37勝 |
日馬富士 | 8勝7敗、全勝(優)、全勝(優) | 38勝 |
白鵬 | 10勝5敗、13勝2敗(優)、全勝(優) | 38勝 |
朝青龍 | 10勝5敗、14勝1敗(優)、14勝1敗(優) | 38勝 |
貴乃花 | 11勝4敗、全勝(優)、全勝(優) | 41勝 |
※(優)は優勝、(同)は優勝同点(決定戦で敗退)
昇進スピードを過去の他力士比較で検証
豊昇龍さんの横綱昇進について、昇進までのスピードも一つの注目点です。
2018年1月場所の初土俵から数えて、横綱昇進までの所要場所数は42場所でした。
この数字は、年6場所制が定着した1958年以降に初土俵を踏んだ力士の中では、歴代6位タイという非常に速い記録です。
叔父である元横綱・朝青龍さんの41場所とほぼ同じペースであり、その素質がいかに高いものであるかを示しています。
しかし、このスピード昇進が、必ずしも横綱としての実力が完全に備わったことを意味するわけではありません。
例えば、大横綱である貴乃花さんや白鵬さんは、昇進スピードもさることながら、横綱に上がる前に三役の地位で圧倒的な強さを見せつけ、ファンや関係者を納得させるだけの十分な実績を積み重ねていました。
一方で、豊昇龍さんの場合、大関昇進後の場所では優勝がなく、綱取り場所となった初場所でようやく大関として初の賜杯を手にしました。
つまり、大関としての安定した実績という点では、他のスピード昇進を果たした横綱たちと比較すると、やや物足りなさが残ることは否めません。
下の表は、年6場所制以降の主な横綱の昇進スピードを比較したものです。
豊昇龍さんのスピードがいかに速いかが分かると同時に、他の横綱たちが昇進前に築き上げた実績の重みを改めて感じさせます。
スピードは素質の証明ですが、それが横綱としての品格や実力と完全に同義ではないという点が、今回の議論の一因となっているのです。
順位 | 力士名 | 所要場所数 | 初土俵 | 横綱昇進場所 |
1 | 貴乃花 | 30場所 | 1988年3月 | 1995年1月 |
2 | 朝青龍 | 41場所 | 1999年1月 | 2003年3月 |
3 | 大鵬 | 41場所 | 1956年9月 | 1961年11月 |
4 | 北の湖 | 41場所 | 1967年1月 | 1974年9月 |
5 | 豊昇龍 | 42場所 | 2018年1月 | 2025年3月 |
6 | 白鵬 | 43場所 | 2001年3月 | 2007年7月 |
7 | 輪島 | 44場所 | 1970年1月 | 1973年7月 |
過去にあった横綱昇進の見送り例との違い
豊昇龍さんの横綱昇進の妥当性を考える上で、過去に好成績を上げながらも昇進が見送られた力士の例を振り返ることは欠かせません。
特に有名なのが、平成初期の貴乃花(当時貴ノ花)さんや小錦さんのケースです。
貴乃花さんは、1994年秋場所に全勝優勝を飾りましたが、その前の2場所が14勝の優勝、11勝だったにもかかわらず、横綱審議委員会(横審)は「2場所連続優勝ではない」という理由で見送りを決定しました。
これは、当時の横審がいかに厳格な基準を適用していたかを示す象徴的な出来事です。
また、小錦さんは1991年から1992年にかけて、6場所で3度の優勝を含む通算75勝15敗という、横綱に匹敵する、あるいはそれ以上の成績を残しながらも、ついに綱を手にすることはありませんでした。
これらの厳しい見送り例と比較すると、豊昇龍さんの「優勝1回を含む3場所33勝」での昇進は、「大甘」と評されても仕方のない側面があります。
では、なぜ今回は昇進が認められたのでしょうか。
最大の違いは、「時代の空気感」や「番付上の都合」と考えられます。
貴乃花さんや小錦さんの時代は、千代の富士さん、北勝海さん、旭富士さんといった横綱が土俵を賑わせており、番付の頂点に力士が不足している状況ではありませんでした。
一方、豊昇龍さんの昇進直前は、照ノ富士さんが引退を表明し、「横綱不在」という事態が目前に迫っていました。
相撲協会としては、興行の目玉である横綱を途切れさせるわけにはいかず、ロンドン公演などの海外展開も控えていたため、「是が非でも新横綱を誕生させたい」という強い意向があったことは想像に難くありません。
このように、過去の見送り例と豊昇龍さんのケースを比較すると、純粋な成績評価だけでなく、その時々の相撲界の状況が昇進判断に大きく影響していることが分かります。
力士名 | 見送り時の直近場所成績(主な例) | 合計勝数 | 当時の状況 |
豊昇龍 (昇進) | 8勝, 13勝, 12勝(優) | 33勝 | 横綱不在の危機 |
貴乃花 (見送り) | 14勝(優), 11勝, 15戦全勝(優) | 40勝 | 横綱が複数在位 |
小錦 (見送り) | 13勝(優), 12勝, 13勝(優)など | - | 横綱が複数在位 |
魁皇 (見送り) | 11勝, 13勝(優), 12勝 | 36勝 | 横綱が複数在位 |
物議を醸す横綱昇進の条件の不明確さ
豊昇龍さんの横綱昇進がこれほど議論を呼ぶ根本的な原因の一つに、横綱昇進の条件そのものが不明確であることが挙げられます。
現在、横綱昇進の内規として広く知られているのは「大関で2場所連続優勝、またはそれに準ずる成績」というものです。
この「それに準ずる成績」という部分が非常に曖昧で、解釈の余地が大きいため、その時々の状況によって判断基準が揺れ動く原因となっています。
例えば、「優勝と優勝同点(決定戦で敗退)」は準ずる成績と見なされることが多いですが、豊昇龍さんのように「準優勝と優勝」の組み合わせや、その間の勝ち星の数、相撲内容がどう評価されるのか、明確な基準は存在しません。
この曖昧さは、双羽黒さんの問題がきっかけで、一時期「2場所連続優勝」が絶対条件のように厳格に運用されていた時代があったこととも関係しています。
しかし、鶴竜さん以降、再び「準ずる成績」での昇進が相次ぎ、基準が緩和された印象を与えています。
大関昇進には「三役で3場所33勝」という比較的明確な目安があるのに対し、最高位である横綱の基準がこれほど曖昧なのは、相撲の権威に関わる問題とも言えるでしょう。
ファンからすれば、「ご都合主義」と批判されても仕方なく、誰を昇進させるか、あるいはさせないかの判断が、相撲協会のさじ加減一つで決まってしまうように見えてしまいます。
今回の豊昇龍さんのケースは、この長年の課題である「昇進条件の不明確さ」を改めて浮き彫りにした事例となりました。
将来的な混乱を避けるためにも、より具体的で透明性の高い基準作りが求められるのではないでしょうか。
昇進基準 | 具体的な内容 | 課題・論点 |
原則 | 大関で2場所連続優勝 | 最も明確で異論が出にくい基準。 |
例外(準ずる成績) | 優勝+優勝同点、優勝+準優勝など | 「準ずる」の定義が曖昧。勝ち星の数や相撲内容の評価が不明確。 |
付随条件 | 品格、力量が抜群であること | 「品格」の評価が主観的になりやすい。 |
歴史的変遷 | 双羽黒問題以降に厳格化、近年は緩和傾向 | 時代によって運用が変わり、一貫性がないと見なされることがある。 |
横審から異論は出たのか?世間の反応は
豊昇龍さんの横綱昇進は、最終的に横綱審議委員会(横審)によって全会一致で推挙が決定されました。
しかし、この「全会一致」という結果が、必ずしも全ての委員が心から納得していたことを意味するわけではない、と見る向きもあります。
報道によると、横審の席では「12勝3敗だが、巴戦を加え17回戦って試練に勝った」という点が評価されたとされています。
ただ、場所後の委員のコメントなどからは、成績面での物足りなさに対する懸念や、「もう1場所見るべきでは」という意見が全くなかったわけではないことがうかがえます。
にもかかわらず全会一致に至った背景には、前述の通り「横綱不在」という危機的な状況を回避したいという相撲協会側の強い意向が、横審の判断にも影響を与えた可能性が指摘されています。
一方、世間の反応は賛否両論が渦巻きました。
インターネットの掲示板やSNSでは、「おめでとう」「新しい時代の幕開けだ」といった祝福の声も多く見られました。
特に、千秋楽の優勝決定巴戦で見せた気迫あふれる相撲に、横綱としての資質を見出したファンも少なくありません。
しかし、それと同時に「大甘昇進だ」「横綱の価値が下がる」「過去の力士が不憫だ」といった厳しい批判的な意見も数多く投稿されました。
この反応の分裂は、豊昇龍さん個人の資質への評価と、昇進プロセスの正当性への評価が、必ずしも一致していないことを示しています。
多くのファンは豊昇龍さんの将来性に期待しつつも、今回の昇進の仕方には首を傾げている、というのが実情に近いのかもしれません。
立場 | 主な意見・論調 |
横綱審議委員会 | 全会一致で推挙を決定。優勝決定戦の内容や気迫を高く評価。 |
相撲ファン(賛成派) | 優勝決定戦での気迫、若さ、将来性に期待。横綱不在の解消を歓迎。 |
相撲ファン(反対・慎重派) | 成績不足を指摘。「大甘昇進」「ご都合主義」と批判。過去の見送り例との整合性のなさを問題視。 |
一部専門家・メディア | 協会の思惑が働いた可能性を指摘。昇進後の活躍に注文を付ける論調。 |
過去の昇進が早すぎた力士たちとの比較
「昇進が早すぎた」という指摘は、過去にも多くの力士に向けられてきました。
その最も象徴的な例が、優勝経験がないまま横綱に昇進した双羽黒(当時・北尾)さんです。
1986年、横綱・千代の富士さんの対抗馬として期待され、異例の抜擢を受けましたが、在位中は一度も優勝することなく、素行問題もあってわずか8場所で角界を去りました。
この出来事は角界に大きな教訓を残し、その後の横綱昇進基準が厳格化される直接的な原因となりました。
また、柏戸さんの例も参考になります。
大鵬さんと共に「柏鵬時代」を築いた名横綱ですが、昇進時の成績は直近3場所で33勝と、豊昇龍さんとほぼ同じでした。
当時は、引退が近い若乃花さんに代わる新しいスターとして、大鵬さんと同時に横綱に上げることで人気を沸騰させたいという協会の思惑があったとされています。
柏戸さんは後に立派な成績を残しましたが、昇進当初はその成績から疑問の声も上がりました。
これらの過去の例と比較すると、豊昇龍さんの昇進にはいくつかの共通点が見えてきます。
一つは、当時の番付のトップに強力なライバルが不在、あるいは世代交代が求められていたという「時代背景」。
もう一つは、相撲人気や興行を盛り上げたいという「協会の思惑」です。
豊昇龍さんの場合は、照ノ富士さんの引退による「横綱不在」という状況が、双羽黒さんや柏戸さんの時代背景と重なります。
もちろん、豊昇龍さんは優勝経験があり、双羽黒さんのケースとは全く異なります。
しかし、周囲の期待や番付上の都合によって、本人の実力が完全に熟す前に最高位に押し上げられたという側面は否定できません。
過去の力士たちが経験したように、このような形で昇進した横綱は、常に「なぜ昇進できたのか」という厳しい視線に晒され、結果を出し続けなければならないという大きなプレッシャーを背負うことになります。
力士名 | 昇進の背景・共通点 | 在位中の主な実績・結果 |
豊昇龍 | 横綱不在の解消、スター性への期待 | 昇進後、金星配給や休場が相次ぐ(2025年7月現在) |
双羽黒 | 千代の富士の対抗馬、優勝経験なしでの昇進 | 一度も優勝できずに廃業 |
柏戸 | 若乃花の引退間近、大鵬との同時昇進で人気喚起 | 優勝5回、柏鵬時代を築く |
豊昇龍13勝12勝は妥当か?昇進の背景と横綱としての今後
豊昇龍さんの昇進が成績面で疑問視される一方で、それを後押しした様々な背景が存在します。
相撲協会の判断基準や、横綱不在という絶妙なタイミング、そして例外的な措置と見なされる理由などを探ります。
さらに、昇進が早すぎたという指摘や、昇進後の成績不振に対する批判、そして今後の課題についても考察していきます。
・相撲協会が下した判断基準とその思惑
・横綱不在を回避した豊昇龍の昇進タイミング
・今回は横綱昇進の例外ケースだったのか
・豊昇龍の横綱昇진は早すぎるという指摘
・昇進後の成績不振で高まる批判の声
・「昇進失敗」と見なされる今後のシナリオ
相撲協会が下した判断基準とその思惑
豊昇龍さんの横綱昇進を理解する上で、日本相撲協会の判断基準とその裏にある思惑を抜きにしては語れません。
表向きの判断基準は、横綱審議委員会が示したように「12勝3敗だが、巴戦を制した気迫」や「2場所連続で優勝争いに加わった」という点です。
しかし、それ以上に大きな要因として働いたのが、協会の「興行上の都合」と「将来への投資」という思惑でしょう。
最大の理由は、一人横綱だった照ノ富士さんの引退により、「横綱不在」という事態が現実味を帯びていたことです。
横綱は番付の最高位であると同時に、相撲興行における最大のスターであり、その存在は集客や話題性に直結します。
特に、2025年には財団法人設立100周年という節目を迎え、ロンドン公演などの海外イベントも控えていました。
このような重要な年に横綱が一人もいないという状況は、協会として是が非でも避けたかったはずです。
ここに、豊昇龍さんを昇進させる強い動機がありました。
また、豊昇龍さんは叔父が元横綱・朝青龍さんという血統、若さ、そして華のある取り口から、次代の角界を背負うスター候補として大きな期待を寄せられています。
協会としては、多少成績が物足りなくても、早い段階で横綱という看板を背負わせることで、本人をさらに成長させ、相撲界全体の人気を牽引する存在になってほしいという「将来への投資」という意味合いも込めていたと考えられます。
つまり、今回の昇進は、純粋な成績評価というよりも、これらの複合的な要因、特に協会の運営や将来を見据えた戦略的な判断が強く働いた結果と分析できます。
協会の思惑(推測) | 具体的な背景・理由 |
興行上の都合 | 照ノ富士の引退による「横綱不在」の危機回避。 |
記念事業 | 協会設立100周年やロンドン公演など、横綱の存在が不可欠なイベント。 |
将来への投資 | 若く華のある豊昇龍を次代のスターとして育成したい。 |
話題性の創出 | 新横綱誕生によるメディア露出の増加と相撲人気全体の活性化。 |
横綱不在を回避した豊昇龍の昇進タイミング
豊昇龍さんが横綱に昇進できた最大の要因は、その「タイミング」にあったと言っても過言ではありません。
もし、2025年初場所の時点で照ノ富士さんが現役で、他に複数の横綱・大関が番付に名を連ねていたとしたら、豊昇龍さんの成績で昇進が議論されることは、まずなかったでしょう。
2敗を喫した時点で「綱取りは消滅」と報じられ、12勝3敗の優勝であれば「来場所が改めて綱取り」という流れになるのが自然です。
しかし、現実は全く異なりました。
場所の3日目に一人横綱だった照ノ富士さんが引退を表明したことで、状況は一変します。
この瞬間から、相撲界は1993年1月場所以来となる「横綱空位」の危機に直面しました。
大相撲の歴史と権威において、横綱が番付から消えることは非常に大きな問題です。
この危機的な状況が、昇進基準のハードルを事実上、大きく引き下げることになりました。
審判部や横綱審議委員会も、成績の物足りなさは認識しつつも、「横綱を不在にするわけにはいかない」という大義名分が、昇進を後押しする強力な追い風となったのです。
豊昇龍さんにとっては、自らの優勝という実績に加え、番付上の最高位が偶然にも空位になるという、千載一遇のチャンスが巡ってきた形です。
まさに、本人の実力と努力、そして幸運なタイミングが奇跡的に重なり合った結果が、今回の横綱昇進だったと分析できます。
このタイミングの良し悪しが、昇進の妥当性を巡る議論をさらに複雑にしている一因ともなっています。
時系列 | 出来事 | 昇進への影響 |
2025年初場所前 | 照ノ富士が一人横綱として在位 | 豊昇龍の綱取りは厳しいとの見方が大半 |
初場所3日目 | 照ノ富士が引退を表明 | 「横綱不在」の危機が現実化 |
初場所9日目 | 豊昇龍が3敗目を喫する | 通常なら綱取りは絶望的 |
初場所千秋楽 | 豊昇龍が優勝決定戦を制し優勝 | 「横綱不在回避」の大義名分が生まれ、昇進ムードが一気に高まる |
今回は横綱昇進の例外ケースだったのか
豊昇龍さんの横綱昇進は、多くの点で「例外ケース」であったと評価できるでしょう。
通常、横綱昇進に求められるのは、誰もが文句のつけようのない圧倒的な成績と、それに裏打ちされた安定感です。
具体的には、「2場所連続優勝」という明確な基準が理想とされ、それに準ずる場合でも、直近2場所で27勝以上(例:14勝+13勝)といったハイレベルな成績が期待されます。
しかし、豊昇龍さんの場合、これらの慣例からは大きく外れていました。
まず、2場所連続優勝ではありません。
そして、直近2場所の合計は25勝(13勝+12勝)であり、これも過去の昇進例と比べると物足りない数字です。
さらに、3場所前が8勝7敗という成績であったことも、横綱に求められる「抜群の安定感」という観点からは、異例と言わざるを得ません。
では、なぜこの例外が認められたのでしょうか。
前述の「横綱不在の回避」という協会の事情が最大の理由ですが、加えて豊昇龍さん自身の持つ「特別な要素」も影響したと考えられます。
豊昇龍自身の持つ特別な要素
一つは、叔父が元横綱・朝青龍さんという血統とスター性です。
角界としても、ファンを惹きつける魅力的なキャラクターを求めており、豊昇龍さんはその筆頭候補でした。
もう一つは、初場所千秋楽で見せた「気迫」です。
優勝決定巴戦で見せた、絶対に勝つという執念あふれる相撲は、多くの関係者に「横綱にふさわしい精神力がある」と評価されました。
成績という客観的なデータだけでは測れない、こうした主観的な要素が「例外」を認める後押しとなったのです。
したがって、今回の昇進は、成績の基準をクリアしたというよりは、様々な特殊な事情が重なった結果、特例的に認められたケースと位置づけるのが最も的確な見方だと言えます。
項目 | 通常の横綱昇進 | 豊昇龍のケース | 例外と見なされる点 |
連続優勝 | 2場所連続が原則 | していない | 明確な基準からの逸脱 |
直近2場所 | 27勝以上が一つの目安 | 25勝 (13勝+12勝) | 過去の昇進例より少ない |
直近3場所 | 安定して二桁勝利 | 8勝、13勝、12勝 | 勝ち越しギリギリの場所がある |
後押し要因 | 圧倒的な成績 | 横綱不在の危機、スター性、気迫 | 成績以外の要素が大きく影響 |
豊昇龍の横綱昇進は早すぎるという指摘
「豊昇龍の横綱昇進は早すぎる」という指摘は、多くの相撲ファンや評論家から上がっており、その根拠は主に二つあります。
一つは、これまで述べてきた通り「成績面の物足りなさ」です。
横綱という地位は、大関で圧倒的な強さを見せつけ、誰もが納得する形で昇進するのが理想とされています。
しかし、豊昇龍さんの場合、大関在位中に優勝したのは綱取り場所となった2025年初場所の一度きりでした。
大関としての経験と実績が十分に熟成する前に、番付上の都合で最高位に上がったという見方が、この「早すぎる」という指摘の核心です。
もう一つの根拠は、「心・技・体」の充実度です。
特に「技」と「体」の面で、まだ発展途上であるとの見方があります。
豊昇龍さんの相撲は、多彩な技と抜群の相撲勘が光る一方で、相手の力を受け止めて真正面から寄り切るような、絶対的な型が確立されていないと指摘されることがあります。
また、体つきもまだ若々しく、歴代の横綱たちのような圧倒的な圧力や盤石の安定感には欠けるという印象を持つ人も少なくありません。
これらの心技体が完全に成熟する前に横綱という重圧を背負うことは、本人の相撲人生にとって必ずしもプラスに働くとは限らない、という懸念が「早すぎる」という言葉の裏には込められています。
本来であれば、もう1、2年大関として経験を積み、連続優勝などの誰もが認める実績を引っ提げて昇進するのが、本人にとっても角界にとっても理想的な形だったのかもしれません。
指摘される点 | 具体的な内容 | 懸念される影響 |
実績不足 | 大関としての優勝が1回のみ。安定した成績の期間が短い。 | 横綱としての権威に対する疑問。本人への過度なプレッシャー。 |
相撲内容 | 確固たる「型」が未完成。時に荒削りな面が見られる。 | プレッシャーから相撲が小さくなる可能性。怪我のリスク。 |
身体の成熟度 | まだ発展途上の体つき。歴代横綱ほどの威圧感には欠ける。 | 厳しい稽古や連戦による消耗。怪我の増加。 |
精神的な重圧 | 「大甘昇進」という批判の中で戦わなければならない。 | 自信の喪失や、相撲の迷いにつながる恐れ。 |
昇進後の成績不振で高まる批判の声
「昇進が早すぎたのではないか」という懸念は、残念ながら豊昇龍さんの横綱昇進後の成績によって、現実のものとなりつつあります。
新横綱として臨んだ2025年3月場所では、初日に黒星を喫すると、その後も安定感を欠き、5勝5敗の時点で右肘の怪我を理由に途中休場となりました。
新横綱の途中休場は、1986年の双羽黒さん以来39年ぶりという不名誉な記録です。
続く5月場所は12勝3敗と持ち直したものの、優勝には届きませんでした。
そして、7月の名古屋場所では、初日から平幕相手に3日連続で金星を配給するなど苦しい相撲が続き、4日目を終えて1勝3敗となった後、左足の怪我で再び途中休場に追い込まれました。
横綱昇進後、わずか3場所で2度の休場、そして短期間で合計8つもの金星を配給するという成績は、横綱としての責任を果たしているとは言い難い状況です。
この成績不振により、昇進時にあった「大甘昇進だ」という批判の声は、日を追うごとに高まっています。
ファンからは「やはり無理な昇進だった」「綱の重みに耐えられていない」「横綱の権威が失われる」といった厳しい意見が相次いでいます。
もちろん、怪我という不運な側面は考慮しなければなりません。
しかし、その怪我自体が、まだ横綱として戦い抜くための心技体が整っていないことの表れではないか、と見る向きもあります。
豊昇龍さんにとっては、まさに正念場です。
この批判の声を、今後の圧倒的な成績で黙らせることができるのか、その真価が問われています。
場所 | 成績 | 主な出来事 |
2025年3月場所 (新横綱) | 5勝5敗5休 | 新横綱場所で途中休場(39年ぶり)。金星を配給。 |
2025年5月場所 | 12勝3敗 | 持ち直すも優勝はならず。 |
2025年7月場所 | 1勝4敗10休 | 3日連続金星配給。再び途中休場。 |
通算 (2025年7月場所終了時点) | 金星配給: 8個 | 昇進後3場所で2度の休場、多数の金星配給と苦戦が続く。 |
「昇進失敗」と見なされる今後のシナリオ
豊昇龍さんの横綱昇進が最終的に「失敗」だったと評価されてしまうかどうかは、今後の本人の土俵人生にかかっています。
横綱は、ただ勝ち越せば良いという地位ではありません。
常に優勝争いに加わり、13勝以上のハイレベルな成績を残すことが期待されます。
もし、今後も怪我による休場が続いたり、二桁勝利に届かない場所が頻発したり、平幕相手への取りこぼし(金星配給)が多いようだと、「昇進は失敗だった」という烙印を押されかねません。
最悪のシナリオは、双羽黒さんのように一度も優勝賜杯を抱くことなく引退に追い込まれることです。
豊昇龍さんはすでに大関時代に優勝しているため、全く同じ道を辿ることはありませんが、「横綱としては優勝なし」という不名誉な記録が残る可能性はゼロではありません。
また、成績不振が続けば、横綱審議委員会から「激励」や「注意」、さらには「引退勧告」といった厳しい決議が出されることも考えられます。
横綱は自ら引退を決断する地位であり、成績不振を理由に降格することはありませんが、そのぶん、引き際に対する世間の目は非常に厳しくなります。
成功への道筋
一方で、ここからV字回復を遂げる道も残されています。
まずは怪我を完全に治し、心身ともに万全の状態で土俵に復帰することが絶対条件です。
そして、復帰後は圧倒的な強さで連続優勝を飾るなど、誰もが認める成績を残すことができれば、昇進時の批判を払拭し、名実ともに大横綱として認められるでしょう。
過去には、昇進後に苦しみながらも、それを乗り越えて一時代を築いた横綱もいます。
豊昇龍さんがどちらの道を歩むのか、今後の数場所がその運命を大きく左右することは間違いありません。
多くのファンが、叔父である朝青龍さんのような、批判を力に変える不屈の闘志を見せてくれることを期待しているはずです。
シナリオ | 具体的な内容 | 評価 |
失敗シナリオ | ・休場が続く ・優勝争いに絡めない ・金星配給が多い ・横綱として優勝なしで引退 | 「昇進は時期尚早だった」「協会の判断ミス」と評価される |
成功シナリオ | ・怪我を完治させ、万全の状態で復帰 ・連続優勝など圧倒的な成績を残す ・横綱としての風格と安定感を確立 | 「昇進時の懸念を払拭した」「やはり大器だった」と再評価される |
まとめ:豊昇龍13勝12勝の昇進は妥当か再考
ここまで、豊昇龍さんの横綱昇進の妥当性について、様々な角度から検証してきました。最後に、この記事の要点をまとめます。
- 豊昇龍の横綱昇進は直前3場所33勝という成績だった
- この成績は大関昇進の目安と同程度で、横綱としては不足との見方が多い
- 初土俵から42場所での昇進は歴代6位タイのスピード記録
- しかし大関としての実績は他のスピード昇進横綱より少ない
- 過去には豊昇龍以上の成績でも昇進が見送られた例がある
- 貴乃花や小錦は見送られたが、当時は横綱が複数在位していた
- 昇進条件の「準ずる成績」という基準が曖昧なことが議論の一因
- 横審は全会一致で推挙したが、背景には協会の意向があったとされる
- 世間の反応は、期待と批判が入り混じる賛否両論だった
- 昇進の最大の要因は照ノ富士の引退による「横綱不在」の危機
- 協会の記念事業や海外公演も昇進を後押しした
- 昇進が早すぎたという指摘は、成績と心技体の未熟さが根拠
- 昇進後は休場や金星配給が相次ぎ、成績不振が続いている
- 成績不振により、昇進時の「大甘」という批判が再燃している
- 今後の成績次第で「昇進失敗」の烙印を押される可能性がある
- 最終的に「豊昇龍 13勝12勝 妥当か」という問いの答えは、これからの本人の活躍にかかっている